人生の探検家・浅井恵子の37歳記

37歳の1年間を、つらつらと書き綴っていきます。

203日目

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昨日今日と空が一段ときれい。

“美しいものを美しいと思える

あなたの心が美しい”

相田みつをさんの詩。

たまに、自分で自分の言っていること、 『うわー、わたし、めっちゃ偽善的でね?』 って思うことがある。 愛とか平和とか、よく言葉にするんだけど、世の中きれいごとじゃねーんだよ!って言われそうだなと思う。 でもわたしにも“世の中きれいごとじゃねー”っていう時期があって、そういうこと言ってる人を見ると、なんか偽善的で薄っぺらくてこっちのことよく知りもしないでってもやもやした。 でも一周回って思うのは、世の中きれいごとだなということ。 なんていうか、きれいごとじゃないこともきれいごと。 人間の感情をとってみても、妬み嫉み、執着、卑下、なんかいろいろどろどろしたものあるけど、それさえも生きている証で美しいんだと思う。 突き詰めれば、生命って美しいんだなと。だから生命が宿っているわたし達すべてがそもそも美しいんだ。 こうしたから、とか、こういう考えだから、とか、こういう造りだから、ではなく。ありのままが、すでにそう。 嫉妬は醜いとか、執着は手放せとかよく言われるし、それもわかる。でもそっちが先に来るんじゃなく、自分はそもそもありのままでOKと思えば、自然と離れていくものなんじゃないかと。 でも別に嫉妬も執着も卑下もいいと思う。 そこには自分の大切にしているものが隠れているから。 こうありたい、でもまだそうじゃないから、すでにそうある人に嫉妬する。そうじゃない自分を卑下する。 これが大事!そう思っているから執着する。 この感情は自分が大事にしているもののサインなんだと思っている。 昔、“世の中きれいごとじゃねーよ!”って思ってた頃は気づかなかったけど、きっとわたしはそういうことを言っている人たちに嫉妬していたんだと思う。 本当は、愛や平和が自分にとって一番大切とわかっていて、そして堂々と、そういうことを言いたかったから。でも言えなかったから、堂々と言い切る人たちが羨ましかったんだと思う。 きっとあのもやもやは嫉妬だったんだな。 と今にして思う。 でももっと早く気づけてたらなーとは微塵も思わない。もちろん今だって嫉妬も執着も卑下もするし、それでいいんだと思う。生きてる証拠。 前と違うのは、その自分でいい、と思えること。しんどくなるし、手離したくなるけど、それ含めて、いいんだな。 と、今こう思っているけれど、また数年後、数十年後、どう思っているのかなー! たのしみだなー!!